ヴェーネレ美容法でアンチエイジング。草渚さおりのプロフィールです

 

はじめまして。
現在、アラフィフ(50歳)の、草渚さおりです。

 

50代、歳をとって、もう美しくないからつまらない。
夢も希望も無い、もう枯れていくだけ。
家のことや子育てが忙しいから、美容にまで手が回らない。
今さら恋愛するわけでもないから、もういいや・・・。

 

と、本気で思っていました。

 

口元のシワ・たるみ・白髪が増えて髪の毛薄くなってきたし、お腹や背中のぜい肉、太もも、二の腕のタプタプ。

 

こういうのは、年齢が年齢なんだから、みんなそうなる!
しょうがない!と思っていました。

 

美魔女さんみたく美容に何時間もかけてすごい努力をする気力もなく、年齢相応ということで、諦めていました。

 

でも、吉丸美枝子先生のヴェーネレ美容法を知って、人生が変わりました。

 

夢も希望も無く、美を諦めて枯れていくだけだった私が・・・

 

枯れた花

 

仙台出身です。(生まれてから小学2年まで)

 

私の出身は宮城県仙台市で、父・母・兄・妹・私の5人家族。
3人兄弟の真ん中として育ちました。

 

父は仕事人間で厳しい人でした。
父はいつも母の事を怒っていたから、両親の仲は悪いのだと思っていました。
(後から聞いたら別に仲悪くは無かったらしいけど、どう見ても悪かった・・)

 

母はいつも何かに悩んでいて、
眉間にシワを寄せて不機嫌な顔をしていました。

 

笑顔が無い家庭だったと思います。

 

私は小学1‐2年生の時、視力が低かったので眼鏡をかけていて、
学校で男子に「メガネざる」と言われて、それがとてもイヤでした。

 

メガネの女の子

 

美意識の高い小学生でした

 

小学3年生に上がる時、父の仕事の関係で、仙台から東京に引っ越してきました。

それを機に、イヤだった眼鏡をかけなくなりました。
すると視力が1.2ぐらいに上がりました。(ラッキー)

 

メガネをかけなくなって、メガネざるの時より可愛くなったので気分も上がって、
転校生ということで注目されて、皆に親切にしてもらい、
小学校3‐4年の時は、お勉強も運動も、友情も恋愛も全てがうまくいっていました。

 

叶えたい願望はどんどん叶って、
思い返せば人生で一番充実していた時期でした。

 

 

私が小学3・4年生だった頃の愛読書は「美しくなる本」という本でした。
この本が大好きで、何度も何度もリピートして読んでいました。

 

小学5年生の時に、松田聖子さんがデビューされました。
当時の素朴な聖子さんに、私は顔が似てると言われて、6年生が教室に見に来るほどでした。

 

聖子さんが好きだったので、似てると言われるのは嬉しかったのですが、クラスの女子には「ぶりっこ」と言われました。(とばっちり(^^;)

 

イケてない中学・高校時代

 

中学で、部活をサボってばかりいたことや、仲が良かったお友達とのちょっとしたトラブルから「全部自分が悪いんだ」と思うようになり、「私のバカバカ!」って、自分を責めるようになりました。

 

自分のことが大嫌いでした。

 

高校は都立の高校に入学して、今度は部活も頑張って、良いお友達も出来たのですが、高校2年に上がる時に父の転勤で地方都市に引っ越すことになりました。

 

転校先では自分で壁を作っていたつもりはないのですが、
何だか疎外感を感じていました。

 

私は自分で自分のことをつまらない人間だな~と思って、大嫌いでした。

 

大学生時代~各依存症が勃発

 

大学は、神奈川県にある私立大学に入学しました。
親元を離れて自由に羽を伸ばしていましたが、思い返すと諸々の依存症があり、危険信号を発していたのに、気づかずにそのままでした。

50歳手前でやっと気づくことになろうとは・・・。

 

買い物依存

摂食障害

恋愛依存

愛着問題(アダルトチルドレン)

(社会人になってから、薬物依存がありました)

 

一人暮らしをするようになって自由を謳歌していましたが、その生活は滅茶苦茶なものでした。

 

学校にほとんど行かないで、昼も夜もアルバイトばっかりしていました。

 

仕送りももらっていましたが、入金されるとすぐに使い果たし、アルバイト代で遊びや買い物ばっかりしていました。

 

18歳くらいって、女子はちょっとぽっちゃりしますよね。
私も、ちょっとだけぽっちゃりしたのですが、
“太っている自分は愛されない”という強迫観念があり、

 

一生懸命ダイエットして、エステにも行って、
大学一年の夏休み明けには自分で納得するほど、お友達にビックリされるほど、とてもスリムになりました。
ぶっちゃけ、スタイル抜群でした。

 

でも、そこから地獄が始まりました。

「このスタイルをキープしなければ。
太ってはいけない、でも食べずにはいられない」

 

人は、心に空虚感があると、それを何かで満たそうとするんですね。
私も淋しかったので、何か口に入れなければ気持ちが収まりませんでした。

 

それから毎日のように食べ吐きが始まりました。
(摂食障害)

 

摂食障害

 

すると、お金も食べ物も無駄にしているという罪の意識にかられるんですね。

 

私、何やってるんだろう・・・と、罪悪感と空虚感でいっぱいでした。
でも、止められない。
私ってバカバカ・・・と自分を責める。

 

今思うと完全に、精神が不安定な状態でした。

 

大学生になったことだし、
思いっきり恋愛をしたいと思って相手を探しますが、
誰かを好きという気持ちよりも
“つまらないし淋しいから早く恋愛をしたい”という気持ちだけで、

 

ちょっとでもいいなと思ったら、
すぐに恋愛モードになる感じでした。(恋愛依存)

 

つまらない毎日を、淋しさを、ただ埋めたかっただけですね・・・。

 

昼も夜もアルバイトして、得たお金でお洋服やバック、
アクセサリー等を買いまくっていました。
お金がマイナスになっても、カードで買いまくっていました。
(買い物依存)

 

これを書いていて、
私って相当ヤバい奴だったと思います(-_-;)
当時は依存だなんて、全く思ってもみなかったですが。

 

私も、愛情に飢えている人だったのでした。

 

虐待やネグレクトなど無く、一般的な普通の家庭に育った(と思っている)ので、
両親が仲悪そうとか、母がいつも不機嫌とか無関心とか、
話を聞いてくれないとか褒めてくれないとか、

 

それくらいはどこの家庭でもあると思っていたので、

 

私の異常行動は若気の至りで、
私が未熟だったから起きたものだと思っていたのでした。

 

確かに若気の至りでバカだったのですが、
そうなる理由があったのでした。

 

淋しい女性

 

25歳~35歳 自己肯定感が低く、婚活地獄

 

人と一緒にいても、淋しかった。
楽しいことをやっていても、心から楽しいと思えなかった。

 

そんな感じで、20代は空虚感を感じながらも、
若さと勢いでけっこう滅茶苦茶なことをやって
それなりに楽しかったと思います。

 

かなりパワフルで無鉄砲。
よく命があったな・・・と思うほど。

 

私を大切にしてくれない男の人とばっかり付き合っていました。

 

それは私が自分のことが大っ嫌いで、
自己肯定感が低くて自分を大切にしない心が、
そういう人を引き寄せていたんだと、今だから分かります。

 

30歳で真剣に婚活を始めましたが、なかなか結婚できず、
5年間婚活地獄で苦しみました。

 

自己否定ばっかりしていて、
「私なんかどうせ誰にも求められない」
「私には魅力が無いんだ・・・」
と思って空しく悲しくなっていました。

 

スピリチュアルやパワーストーン等にも依存してました(怖っ)
結婚できない自分を責めていました。
その間、淋しさ・不安・焦りでおかしくなりそうでした。

 

35歳にもなって、いよいよもうダメだと思った時、
結婚に執着と依存するのをやめて、
一人でも生きていけるようにしようと考えを改めたら、
良い人と巡り会って無事結婚できました。

 

36歳~49歳  出産・子育て期~現在

 

結婚してから一軒家も建てて、
無事子供も生まれて幸せに暮らしていました。

自宅の一室をヒーリングサロンとして開業しました。
(以前から、そういうことをしてみたかった)

 

私は元々、あまりペラペラ喋る方ではなく、
小・中学校の頃は、お友達の話を聞いて元気にしてあげることが好きでしたので、
人の悩みを聞いて、解決に導く方法をいくつか学びに行きました。

 

潜在意識に働きかけて、その人の深いお悩みにアプローチする「〇〇ヒーリング」や、天使ワークなどのスピリチュアル系ヒーリング、高次元と繋がるエネルギー伝授系 等々・・・。

 

始めの頃はお申込みがあったのですが、ビジネス戦略など全く無く、
素人考えで行き当たりばったりでしたので、
ビジネスは長続きせず、3年ほどでヒーリングサロンを閉店しました。

 

ヒーリングやスピリチュアルで、心が軽くなったり
清らかになったりする感じはありましたが、根本的な解決にはならないと感じていたので、そういう流れだったのでしょう。

 

spritualのイメージ

 

その後は子供を保育園に入れて、
私は派遣社員としてフルタイムで勤務しました。
外資系企業の、忙しい部署でのアシスタント業務です。

 

OL時代も秘書やアシスタントをやっていて、私の好きな職種です。
自分がメインでやるよりも人をアシストする事が好きです。

 

しかしながら、実はその頃から副業でアフィリエイトをやっていました。
アフィリエイトというのは、インターネット上に広告を出すお仕事です。

 

難しいと言われますが、
フルタイムで働いて睡眠時間を削って、真面目にやったら運よく成功して、
2年で本業を超える年収となりました。

 

派遣の契約が終了する頃、本業としてアフィリエイトに取り組もう思ったら、
アフィリエイト界での基準が変更になり、
もうアフィリエイトで収益を得ることは出来なくなってしまいました。
つまり、今まで積み重ねてきたものがゼロに。

 

業界的に、そうなることは前から言われていて分かっていたことなので、覚悟はしていましたが・・・。

 

さて、次は何をやろうかなと考えていたら、
「今まで何をやっても変われなかった人が、この手法なら変われる」
「本来の自分と繋がると 悩みが解決し、人生が激変する」
という、〇〇コーチングの情報を目にしました。

 

今まで何をやっても変われなかった。
自己肯定感が低くて、自分を愛せなくて不運な私がやっと変われる!
私のイケてない人生が激変する!!


これはやらなければ!と私の中のセンサーが反応しました。
8カ月間その〇〇コーチングの学びを進めて、トレーナーの資格も得ました。

 

しかしながら、講座を受けて本セッションも何回も受けても、ぜんぜん心に響かなくて、現実もちっとも変わらなくて、

再び「何をやってもダメダメな私」「私のバカバカ」と自分を責める日々に苦しむことになりました。

あんなにお金と時間をつぎ込んで取り組んだのに・・・

 

変わりたい一心で一生懸命学んでたくさん苦しんで、
それなのにぜんぜん変わらなくて、
「一体、何が分かったら良いのですか?」と
泣きながら講師に訴えたこともありました。

 

この〇〇コーチングを提供して仕事にしようと思っていたのに、
自分が何も変わらないから確信が持てなく、発信にも説得力が無いので、
クライアントさんが来てくれることは、ほぼありませんでした。

 

もし、目の前の現実が思い通りになっていないのなら、
自分が自分に隠している「未消化の感情」があるということです。

 

それに気づけば現実が激変するということなのですが・・・、
私はいくらやっても、それが何なのか気づくことが出来なかったのでした。

 

人は、いくつもの仮面を付けて日々暮らしていると思うのですが、
それだとしんどいんですよね。

 

人生が望み通りになっていないのは、本来の自分とズレているからで、
そのズレが葛藤となって、現実生活に何かしらの問題として現れてきている。

 

まずは自分と向き合って、気づくべき何かに気づきましょう。
(=自分が自分に隠しているネガティブな感情)

 

それに気づくと、本来の自分のエネルギーで生きられるようになり(自己一致という)
問題が解決して現実が変わり、物事がスルスルと上手くようになり、幸せな人生を送れるようになります。

 

というのが、〇〇コーチングでした。

 

私はこれでも望む結果が得られず、失敗したと自分を責めたのでした。

 

自分自身を取り戻す

 

カウンセリング
天使ヒーリング
レイキ・霊気
スピリチュアルセラピー
インナーチャイルドセラピー
オーラヒーリング
パワーストーン
ヒプノセラピー
呼吸法
波動セラピー
引き寄せ
幸せになる方法
願いを叶える方法
サブリミナル
風水
神頼み
〇〇ヒーリング
〇〇コーチング and more・・・・

 

自分を愛するようになるために、幸せになるために今まで学んだ手法です。
いろいろやったけど、どれもイイかなと思ってもリバウンドで戻ってしまいました。

 

ヒーリング・セラピーは、受けたその時はいいけど
根本的な解決になっていなかったからです。

 

でも唯一、感情セラピー的なことを自分でやった時、
自分の中に深い深い”淋しさ”があることを発見しました。
48歳の時でした。

 

自分が自分に隠していた感情とは、この深い深い”淋しさ”でした。

 

本当はもっと母に構ってもらいたかったし、もっともっと愛を表して欲しかった。
母に嫌われたくなかった。
母の事が大好きだった。

 

自分で自分に隠していたこの感情を、味わって認めた時、
これを知った時は、ものすごい衝撃でした。

 

やっと気づいてあげることが出来た
やっと気づいてもらえた

という、深い深い安堵感を感じました。
(本来の自分と今ココの自分が一致した状態)

 

今まで自分のこの気持ちに気づいてあげられず、
見ないようにして、この感情にフタをしていたので、
本当の私の深いところが、気づかせよう、気づかせようとして
いろいろな厳しい現実を引き起こしていたのでした。

 

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
自分のことをもっと愛してあげよう、
もっと大切にしてあげようという気持ちが芽生えたのでした。

 

大切な花

 

自分の外側と内側は同じ~ヴェーネレ美容法~

自分を愛することで心が穏やかに幸せになり、自然で美しい笑顔になります。

 

以前の私は自分のことが嫌いで、淋しくて、心の中は満たされず不平不満ばっかりだったので、いつも無表情もしくはブスーっとした顔をしていました。

 

「いつも笑顔で微笑んでいる」なんて、夢のまた夢。
そんなの私らしくないと本気で思っていました。

 

でも心の中でずっと憧れていました。
そんな風になれたら素敵だろうな~って。

 

また、40代後半になり、シワやたるみで顔が老化してきました。
もう若い時のようにキレイではない。
でも老いて汚くなるのは、歳だからしょうがない・・・と、老いを受け入れていました。

 

だから人生がつまらなくなっていました。
50歳になり、あとは老いていくだけで本当に、夢も希望も無い状態でした。

 

そんな時に、ヴェーネレ美容法の吉丸美枝子先生のことを知りました。

 

ヴェーネレ美容法で分かったこと!

◆ 心の中で老いることを受け入れていて、すでに老いているというイメージにしてしまっているから老いる。

◆ 表情筋をトレーニングすれば、重力に引っ張られるままだった皮膚のたるみ・シワが取れる

◆ 表情筋トレーニングで笑顔の時に使う筋肉を発達させれば、素敵な笑顔になれる

◆ ぜい肉は水と脂肪で出来ていて好きなところに動かすことが可能。つまり、移動させて理想の体を作ることができる

◆ 実行すれば必ずキレイに変われる

◆ ヴェーネレ美容法を確立され全国展開されている、御年71歳の吉丸先生のお若くてキレイなお姿

吉丸美枝子先生68歳の時

 

とても衝撃的でした。

 

ヴェーネレ美容法は、知れば知るほど、
確実に変われるシステムであると確信しました。

 

自分のことが好きじゃなくても、愛せなくても、
ヴェーネレ美容法をやれば、顔が美しく変わり、スタイルも抜群になります。
すると、心が変わります。

 

その顔を鏡で見た時・・・、
「嬉しい」って思うんです。「私、可愛い」って思うんです。

 

その時の気持ちは「私って素晴らしい」なのです。
すると、気持ちがぱあっと明るくなります。

 

そのときに、自分に対する愛が芽生えます。
そして、今までないがしろにして大切にしないでごめんねという気持ちも湧いてくるでしょう。

 

その変身を成し遂げたのは自分を、誇らしく思うことでしょう。
そのため自信を、自尊心を取り戻すことができます。

 

自分に感謝して、自分を誇らしく思う、自分を素晴らしいと思う
自分を大切に出来る。認めて許してあげられる。
それが自分を愛することですね。

 

これは、私がセラピーやコーチングで成し遂げたかった成果と同じです。

 

セラピーやコーチングは、内面を変えて、外面や現実を変えるものですが、
ヴェーネレ美容法は、外面を変えることで内面を変え、内面が変わることで現実を変えていくものです。

 

どちらにしても、望む結果(自分を愛し、愛の波動で自分も周りの人も幸せになっていくスパイラル)を得られます。
これこそが、私の人生の全てです。

 

「美を通して、自分を愛することを伝える」
これが長年探し求めた、私の人生のミッションです。

 

企業理念

美を通して、自分を愛することを伝える

クライアント様が美しく変わることで、自分を認め、許し、自分を愛することができるようになる。

自己重要感(自己価値感・自己肯定感)を高めて、大切にされ自分も周囲も幸せ。

いくつになっても綺麗で元気でいられる。
残りの人生を思い通りに、魂を輝かせて生きる✨

 

 

ヴェーネレ美容法90分無料体験

ヴェーネレ美容法90分無料体験
場所は東京・目黒です。

・顔のお肉が削れて小顔&リフトアップ
・寝るだけでキレイなボディーラインになるマット

等を体験できます。

他の都道府県でも体験可能です。
こちらからお問合せくださいませ。